KAWAII文化の進化
kAWAII文化は進化し続けていると思う。
KAWAII、「可愛い」。この二つの言葉を差別化はできない。個人的に思うのはこのKAWAIIという言葉の下には大きな土台として「可愛い」があるのだ。「可愛い」の中にある新しい可能性をKAWAIIは見つけたと思う。
「KAWAII」の流行には初期の頃から「大人であること」の深刻さ似対しての抵抗がありました。それは現実世界の過酷さと釣り合い取るものです。
大人であることの深刻さ、可愛さには現実逃避的要素が強い様な気がする。
KAWAIIは時代の流れと共に大きく進化する。個人的に、今でこそ「KAWAII」という言葉ができているが名前なんてなんでも良いような気がする。この今のKAWAIIの与える文化が同じなら名前なんて入れ物(容器)のようなもので入ってしまえば何でも良いのだ。
綺麗には怖さがある。可愛いに恐怖の要素はない。綺麗には他を殺す要素がある。可愛いはむしろすでに自死に至った趣。綺麗は低温下氷点下だけど、可愛いには少しの温度がある。綺麗は振り向かない。可愛いは不思議とこちらを見つめてる。綺麗はただの一回性に賭けている。可愛いは永遠に近い。 「いつか別れる。でもそれは今日ではない。」より
可愛いと言う言葉の表現にこのような文章がある。この表現とKAWAIIの表現は違うのか?
違うとするなら。KAWAIIには強い個人の主張がある。それは誰にも邪魔させない、楽園を自ら作り上げているという強い主張である。その主張の先頭に立つのが「きゃりーぱみゅぱみゅ」だ。
0コメント